0W16/0W17(1973-75年型YZR350/YZR250)     YAMAHA

  ヤマハはTD2(2ストローク空冷並列2気筒市販レーサー)及びTD2エンジン搭載車により1970、1971年の250t世界選手権を獲得したが、350tクラスでは市販レーサーTR2(2ストローク空冷並列2気筒)はMVアグスタ(4ストローク並列3気筒)には全く歯が立たなかった。
 そして1972年シーズン、ヤマハは新型空冷並列2気筒市販レーサーTR3(350cc)/TD3(250t)を登場させると共に、これらを水冷化した(1973年型TZ350/TZ250先行開発車というべき)YZ634/YZ635を特定のライダーに与えた。

 350tクラスではヤルノ・サーリネンがYZ634に乗り第1戦ドイツ、第2戦フランスと連勝したが、第3戦以降はジャコモ・アゴスチーニ(MVアグスタ3気筒及び4気筒)が盛り返し6勝しチャンピオン(1968年以降5年連続チャンオン)になり、サーリネンは3勝でランキング2位に留まった。
 250tクラスではサーリネンはシーズン当初はTD3に乗り、後にYZ635を与えられシーズン後半に4勝しチャンピオンとなったが、アエルマッキ(2ストローク空冷並列2気筒)に乗るレンツォ・パソリーニが3勝しサーリネンと有効得点差1点でランキング2位となっていた。

 このため、1973年の350t/250tクラスをTZ350/TZ250のみに頼ることはできない状況だった。TZ350/TZ250エンジンは一般市販車の設計をベースにしたものだったが、このような状況からヤマハはTZ350/TZ250と同じ2ストローク水冷並列2気筒ではあるが専用設計のYZR350/YZR250(機種記号0W16/0W17)を開発したのである。

 TZ350とTZ250の車体は共通で、エンジンもクランクケースは共通で、ボアの異なるシリンダー、シリンダーヘッドも外形は共通だった。以下、TZ350とTZ250を区別する必要がない場合は「TZ」とする。
 同様に0W16と0W17の車体は共通で、エンジンもクランクケースは共通と思われる。以下、0W16と0W17を区別する必要がない場合は原則「0W」とする。
 

1 1973年

(1)250cc
 ヤマハは1973年、500tクラスに2ストローク4気筒のYZR500(0W20)で参戦することとなった。ライダーはサーリネン、金谷秀夫だが、当時、一人のライダーが2クラス出場するのが一般的であり、ヤマハファクトリーが500cc以外に選んだのは250tクラスだった。1970年以降、250tクラスは3年連続してヤマハがタイトルを手にしていたが、ヤマハはアエルマッキの新型水冷2気筒の登場が予想されたこのクラスのタイトルを守りたかったのだろう。このため、第1戦フランスに登場したのは0W16ではなく0W17だった。
 
 サーリネン、金谷は第1戦フランス、第2戦オーストリア、第3戦ドイツと250tクラスで1、2位を占めた。ライバルとなるはずだったハーレー・ダビッドソン(2ストローク水冷並列2気筒)(アエルマッキの2輪部門をハーレーが買収)のパソリーニ、ミッシェル・ルージュリーは第1戦で3、4位となったものの、第2戦ではリタイア。第3戦ドイツは欠場しイタリアでテストを重ね、地元での第4戦イタリアに備えた。

 その第4戦イタリア(モンツァ)で悲劇が起きた。スタート直後の最初のコーナー(Curva Grande、高速コーナー)で事故が起き、サーリネン、パソリーニが死亡したのである、250tレースは中止され、250tレースの後に予定されていた500tレースも中止された。

 イタリアGP後、ヤマハは2人に哀悼の意を表し500t、250tへのファクトリーチームによる参戦を中止したが、第6戦オランダ以降、テウヴォ・ランシヴオリに0W17が貸与され、ランシヴオリは2勝を挙げランキング2位となった(ランシヴオリは250t第5戦ユーゴスラビア終了時点でランキング3位。サーリネン、金谷以外ではランキング1位だった)。チャンピオンはディーター・ブラウン(ヤマハ)。

 シーズン当初、GPの現場に持ち込まれた0W17は、フレーム番号0W16-B-305、0W16-B-306、0W16-B-307の3台と思われる。おそらく、これらのマシンのうち1台がそのままランシヴオリに与えられたのではないか?
 ヤマハ500t4気筒と700t4気筒の開発は一体の計画であり、計画記号は0W19、機種記号は700t:0W19、500t:0W20だった。予算は計画に対して定められるが、フレーム番号は資産管理番号の意味を持つので、0W20のフレーム番号は0W19-B-3××だった。
 同様に0W16/0W17の計画記号は0W16で、0W17のフレーム番号は0W16-B-3××という形と思われる。「3」は1973年型を意味する。
 なお、0W17のフレーム番号の末尾が5〜7と大きいのは、現場での混乱を避けるために、0W20のフレーム番号末尾の2〜4と異なる番号にしたものと思われる。

 下は第3戦ドイツのスタート時で、左が金谷、右がサーリネンの0W17だが、金谷の0W17の前フォーク、前ブレーキトルクロッド、前フェンダーはTZのもの。これらのTZ部品が取り付けられたサーリネンの0W17もあったが、サーリネンはレースでは用いなかった。

 下左のサーリネン、下右の金谷の0W17では、上に記述した差異以外にスイングアームのクッションユニット取付部の位置が異なる。下左のスイングアームをA型、下右をB型とする。シートストッパー形状が特徴的。前後ドラムブレーキのハブ、カバーの一部はマグネシウム合金製のように見える。

  サーリネン(ドイツGP)                        金谷(ドイツGP)
  
 下左(フランス)の0W17は上3葉の0W17と異なり排気管がフェアリングの前に突き出ており、排気管の後端が後車軸位置まで達していない(これをA型、上2葉の排気管をB型とする)。スイングアームはA型。
 なお、金谷の0W17の後クッションユニットはフランス、ドイツでは0Wのもので、オーストリアでは不明、イタリアではTZのものだった。

 下右はスエーデンGPでのランシヴオリと0W17。オランダGPではシートストッパーを除き0W17そのものだったが、この時点ではTZのフェアリングが装着されており、A型排気管を収めるためフェアリング下トレイの2つの穴が縦方向に拡げられている。オランダ、スエーデン、フィンランドでは、いずれもA型排気管、B型スイングアーム、0W前フォーク等、0W後クッションユニットであり、ランシヴオリに与えられた0W17は1台のみだったようだ。
 
サーリネン(フランスGP)             ランシヴオリ(スエーデンGP)   

 0W17のレース毎の仕様は次のとおり。
ライダー 部位 F Atr A I N B Cz S Fin E
サーリネン 排気管 A A B A  
スイングアーム A A A A
前フォーク 0W 0W 0W 0W
後クッションユニット 0W 0W 0W 0W
金谷 排気管 A A B A
スイングアーム A B B A
前フォーク 0W TZ TZ 0W
後クッションユニット 0W 0W 0W TZ
ランシヴオリ 排気管   A ? ? A A ?
スイングアーム B ? ? B B ?
前フォーク 0W ? ? 0W 0W ?
後クッションユニット 0W ? ? 0W 0W ?

1973年250t(全11戦、有効得点はベスト6戦の合計、太数字が0W17によるもの)
ライダー マシン F Atr A I TT Y N B Cz S Fin E Total
ディーター・ブラウン ヤマハ     8 ×   15 15   15 15 12   80
テウヴォ・ランシヴオリ ヤマハ 6 8 10 ×       15 10   15   64
ジョン・ドッズ ヤマハ   6   ×   4 10 12 5   10 15 58
ヤルノ・サーリネン ヤマハ 15 15 15 ×                 45
ミッシェル・ルージュリー ハーレーダビッドソン 8     ×     12 8 12     5 45
チャス・モーティマー ヤマハ 4 10   ×   6 6 4   1   10 40
金谷秀夫 ヤマハ 12 12 12 ×                 36

 250t第4戦マン島TTは多くのライダーが欠場、チャーリー・ウイリアムス(ヤマハ)が優勝。

(2)350t
 ランシヴオリはTZ350に乗り第3戦ドイツでの1勝等により第6戦ユーゴスラビアを終えてランキング1位で、第7戦オランダ以降0W16が与えられた。
 ランシヴオリはチェコ、スエーデンでの2勝を加え総得点ではアゴスチーニ(MVアグスタ)を上回ったが、有効得点では4勝を挙げたアゴスチーニに7点差で敗れランキング2位となった。

 下左ではTZのフェアリングが装着されている。シートストッパーはTZのものなのか、(TZのものに似た)0Wのものかは不明。250tオランダでの0W17もほぼ同型のシートストッパーで塗装が0Wのものだった。
 下右は下左と排気管が異なるのか、TZのフェアリングの下トレイの2つの穴方向に拡大されている(350t第8戦チェコスロバキア以降)。何れもB型スイングアーム、0W前フォーク、TZ後クッションユニットで、350t第8戦チェコスロバキア、同第10戦フィンランドでも同仕様。ランシヴオリに与えられた0W16は1台のようだ。

 ランシヴオリ(オランダGP)                   ランシヴオリ(スエーデンGP)

1973年350t(全11戦、有効得点はベスト6戦の合計、太数字が0W16によるもの)
ライダー マシン F Atr A I TT Y N Cz S Fin E Total
ジャコモ・アゴスチーニ MVアグスタ 15     15     15 12 12 15   84
テウヴォ・ランシヴオリ ヤマハ 10 10 15 12     10 15 15     77
フィル・リード MVアグスタ 12           12 10 10 12   56
ジョン・ドッズ ヤマハ       8   10 8 5 8 10   49
ビリー・ネルソン ヤマハ 8 8 3 4 3 12 38
ケント・アンダソン ヤマハ 6 4   10   8 5     5   38
エデュアルド・セルソ-サントス ヤマハ 1 6 4 1 6 15 33
ディーター・ブラウン ヤマハ   5   4   12 6 6       33
ヤノス・ドラパル ヤマハ   15       15           30

 第5戦マン島TTは多くのライダーが欠場、トニー・ルター(ヤマハ)が優勝。

 なお、マカオGPに河崎裕之が0W16で出場(下)、4周目にシフトペダルが破損し4位となった。A型スイングアーム、0W前フォーク等、0W後クッションユニットで、前フェンダーは外されている。シートストッパーはTZのものか(TZのものに似た)0Wのものかは不明。

2 1974年

(1)250cc
 1973年、ヤマハ市販レーサーが6勝、0W17が5勝とヤマハ全勝に終わった。このため、1974年は特定のライダーにTZ250(前後ドラムブレーキ)の前ディスクブレーキキット等のスペシャルパーツを提供するだけで充分と考えたのだろうか、0W17は姿を見せなかった。
 しかし、ヤマハはメーカータイトルを手にしたものの、ハーレーダビッドソンに乗るワルテル・ヴィラが4勝を挙げ個人タイトルを手にした。

 なお、250tクラスは全10戦行われたが、ドイツ、マン島はコースの安全性を理由に多くのライダーが出場しなかったため、選手権は実質8戦で争われた。
 また、片山敬済が250cc第4戦オランダ以降、TZ250(前ディスクブレーキ)で出場し、同第6戦スエーデンで初優勝した。

(2)350cc
 アゴスチーニはヤマハに移籍、金谷と2人で500t、350tを戦う予定だったが、金谷はデイトナ200で負傷し、代役としてランシヴオリが選ばれた。
 1974年型0W16は1973年型の前ブレーキがディスクブレーキに変更されたのが外観上の特徴であるが、フレーム等も1973年型と異なる(後述)。

 アゴスチーニは500tクラスではタイトルを手にできなかったが、350tクラスでは5勝を挙げチャンピオンとなった。ランシヴオリはスエーデンで1勝したがランキング6位。
 なお、350tクラスは全10戦行われたが、ドイツ、マン島はコースの安全性を理由に多くのライダーが出場しなかったため、選手権は実質8戦で行われた。

  下左と下右では前フォーク、後クッションユニットが異なり、下左はチェリアーニ製のようだ。 下左の排気管形状が他と異なるようだが、異なる仕様なのか個体差なのか。

アゴスチーニ(フランスGP)                  ランシヴオリ(フランスGP)

 下左は前フォーク・後クッションユニットはチェリアーニで、下中では後クッションユニットのみチェリアーニで前ダブルディスクブレーキ。アゴスチーニに与えられた2台の0W16の1台には0W前フォーク、もう1台にはチェリアーニ前フォークが装着され、予選で乗り比べていたようだ。
 下右では後ドラムブレーキはTZのもの。ただし、ランシヴオリの0W16でも0W後ドラムブレーキを装着したものがあった。また、ランシヴオリの0W16で前ダブルディスクのものもあった。

アゴスチーニ(スペインGP)                         アゴスチーニ(スペインGP)       ランシヴオリ(オランダGP)

1974年350cc(全10戦、有効得点はベスト6戦の合計、太数字は0W16によるもの)
ライダー マシン F A Atr I TT N S Fin Y E Total
ジャコモ・アゴスチーニ ヤマハ 15 15 15 15 15   75
ディーター・ブラウン ヤマハ     10     12 8 10 10 12 62
パトリック・ポンス ヤマハ 8   8     10 12 1 8   47
ジョン・ドッズ ヤマハ 1           3 15 12   31
チャス・モーティマー マクストン・ヤマハ   12 6 5   6 29
テウヴォ・ランシヴオリ ヤマハ 12 15       27
ミッシェル・ルージュリー ハーレーダビッドソン 6 6 10     3     25
ペンティ・コルホネン ヤマハ     3     6 10   6   25
ヴィクトル・パロモ ヤマハ             4   5 15 24

第2戦ドイツは多くのライダーが欠場、ヘルムート・カスナー(TZ350)が優勝。
第5戦マン島TTは多くのライダーが欠場、トニー・ルター(TZ350)が優勝。

3 1975年

(1)250cc
 ジョニー・セコット、高井幾次郎に0W17が与えられた。シーズン前半にセコットが乗った0W17は、1974年にアゴスチーニが乗った0W16を250tに改修したもの。下左はイモラ200のサポートレースとされる写真で、セコットの0W17のフェリングが下右(再掲)の1974年最終戦スペインでのアゴスチーニの0W16のフェアリングと同一個体と分る。前フォークは下左:0W、下右:チェリアーニ。

 高井は1974年全日本セニア750tチャンピオンであり、チャンピオンに対するMFJの海外派遣制度を活用してのシーズン前半参戦で、高井のマシンも1974年型0W16を250tに改修したもの。

 第1戦フランスはセコット、高井の接戦となりセコット、高井で1、2位となったが、第2戦スペイン、250t第3戦ドイツ、同第4戦イタリアとヴィラ(ハーレーダビッドソン)が3連勝。セコット、高井の0W17はトラブルも多く、イタリアでセコットが2位になった以外は得点がなかった(高井はイタリアまでの参戦)。

 250t第5戦マン島TTは多くのライダーが欠場、同第6戦オランダでセコットにモノクロスサスペンションの0W17が与えられた。しかし、セコットは同第7戦ベルギーでヴィラ、ルージュリー(ハーレー)と接戦の末に優勝した他は、フィンランドで2位になったのみでランキング4位に終わった。ヴィラは5勝しチャンピオン、ルージュリーも2勝しランキング2位となり、ハーレーがヤマハ勢を圧倒した。

 下左、下中の高井とセコットの0W17は排気管形状、フェアリング形状が異なり、高井の0W17のフェアリングは1975年型0W16と同型のようだ。
 下右の高井の0W17のクッションユニットはリザーボア付(ヤマハはサーマルフローと称していた)で、これはセコットの0W17も同じ(上左)。また、後ブレーキドラムがTZのものだが、下左の後ブレーキドラムは0Wのもの。
 
高井(フランスGP)              セコット(フランスGP)             高井(スペインGP)

 また、250t第4戦イタリアでセコットの0W17にTZのフェアリングが装着された(下左)。
 下中、下右は同第6戦オランダ以降セコットに与えられたモノクロスサスペンションの0W17で、スイングアーム形状からすると((2)350tで後述)、金谷が350tクラスでシーズン前半に用いた1975年型0W16を250tに改修したものではないか?

セコット(イタリアGP)   セコット(オランダGP)                                                 レース名不明

1975年250t(全11戦、有効得点はベスト6戦の合計、太数字は0W17によるもの)
ライダー マシン F E A I TT N B S Fin Cz Y Total
ワルテル・ヴィラ ハーレーダビッドソン 15 15 15 15 10 15 85
ミッシェル・ルージュリー ハーレーダビッドソン 10 5 12 10 12 12 15 15 76
ディーター・ブラウン ヤマハ 3 8 10 3 5 8 10 15 56
ジョニー・セコット ヤマハ 15 12 15 12 54
パトリック・ポンス ヤマハ 8 12 6 6 4 1 4 6 6 10 48
チャス・モーティーマー ヤマハ 4 8 15 4 1 3 12 46

(2)350cc
 
0W16がアゴスチーニ、金谷に与えられたが、TZ350に乗るセコットが第1戦フランスで優勝、第5戦イタリアまでに3勝を挙げ、得点でもアゴスチーニ(1勝、ランキング2位)、金谷(1勝、ランキング4位)を大きくリードした。金谷は第5戦を最後に帰国、アゴスチーニは1勝のままランキング2位に終わった。セコットは第7戦オランダからビモータ・ヤマハTZ350に乗り換え、さらに1勝を加えチャンピオンとなった。
 なお、金谷は1勝したオーストリアで500tクラスもヤマハ0W23で勝ち、2クラス優勝となった。

 下左、下右は1975年型0W16のシーズン前公開写真。後サスペンションがモノクロスに、後ブレーキもディスクブレーキになった。キャブレターはマグネシウム合金製。
 
 下左は第1戦フランス、下右はレース名不明で、下左は上右と同様に排気管前部が前に突き出ているが、排気管後端は上右と異なり後車軸より下にある。下右は排気管前部が前に突き出ず、排気管後端は後車軸の下後に伸びている。前フォークは2台ともチェリアーニ。
  

 下左では上右と同じく排気管前部が前に突き出ていないが、排気管後端は後車軸の下ではなく後車軸の先に伸びている(下中)。前フォークは0Wのもの。
 下右の金谷の0W16の排気管は上右と同型と思われるが、金谷の0W16に上左と同型の排気管が装着されることもあった(イタリアGP)。

  
アゴスチーニ(フィンランドGP)                                       金谷(スペインGP)

 上右の金谷の0W16のスイングアーム形状が他のマシンと異なり、下左が公開写真0W16、アゴスチーニの0W16で、下右が金谷の0W16。なお、フランスGP、イタリアGPでの金谷の0W16のスイングアームは上右と同型であり、金谷はこの1台を第1戦から第5戦まで用いたようだ。
 

1975年350t(全10戦、有効得点はベスト6戦の合計、太数字は0W16によるもの)
ライダー マシン F E Atr A I TT N Fin Cz Y Total
ジョニー・セコット ヤマハ 15 12   15 15   6 15     78
ジャコモ・アゴスチーニ ヤマハ 12 15     12   8 12     59
ペンティ・コルホネン ヤマハ 4 5 2 10     12   1 15 48
ディーター・ブラウン ヤマハ   6   12 8   15 6     47
パトリック・ポンス ヤマハ   6 10   10 6   32
チャス・モーティマー マクストン・ヤマハ       4 3 12 2     10 31
ジェラール・シュクルン ヤマハ 10 4 4 6       4   28
オテロ・ブスケリーニ ビモータ・ヤマハ                 15 12 27
トム・ヘロン ヤマハ           10     8 8 26
金谷秀夫 ヤマハ   10 15               25

第5戦マン島TTは多くのライダーが欠場、チャーリー・ウィリアムス(マクストン・TZ350)が優勝。

4 0W16/0W17とTZ350/250の差異

 (1)エンジン
 1973年型0W16/0W17、1974年型0W16のボア×ストロークは公表されていないようだが、1975年型0W16のボア×ストロークは64×54mm(TZ350と同じ)と公表されており、0W16のボア×ストロークは1973年型から64×54mmだったと思われる。おそらく、1973・1975年型0W17のボア×ストロークは54×54mm(TZ250と同じ)で、0W16/0W17のボアピッチもTZと同じ102mmと思われる。

 TZのクランクケースは一般市販車のクランクケースの設計をベースにしているため、レーシングマシンには必要ないキックシャフトが収まる部分が残っている。下左は一般市販車のクランクケースで番号は次を示す。写真にはないが変速機メインシャフトの端にクラッチギアが装着され、これが1のクランクギアから駆動される。 
1:クランクシャフト
2:変速機メインシャフト
3:変速機カウンターシャフト
4:キックシャフト
5:回転計ケーブル用伝達シャフト 
 

 TZもこれと基本的に同じで4・キックシャフトがないだけである。下左は1974年型TZ350で、レーシングエンジンに必要のないキックシャフトを収める部分(キックシャフトはない)があるためにクランクケースが長くなっていることが分る。下右は同エンジンのクランクケース後端で回転計ケーブル装着部が見える。これは上の5に相当するシャフトからさらにギアで駆動される。


 下左は1973年型0W16で、キックシャフト、回転計ケーブル用伝達シャフトを収める部分がなくクランクケース前後長が短いこと、回転計ケーブル装着部がクランクシャフト右側にあることが分る。回転計ケーブル装着部は水ポンプの端からギアで駆動されるようだ。下中は1974年型0W16で、回転計ケーブル装着部は水ポンプとは独立して設けられている。下右はこれを拡大したもので黄色矢印が指すのはクランクシャフト右端の位置で、TZと同様にクランク右端のギアでクラッチギアを駆動していることが分る。

 下左はTZ350エンジン(1979年型)、下右は1975年型0W17。クランケース長だけでなくクランクケース高さも異なることが分る。

 細かい点だがクラッチ作動機構も異なる。右上でチェーンスプロケットの前、キャブレターの下に見えるのがクラッチ作動機構で、下左の1977年型TZ750の作動機構(パーツリスト)とほぼ同じであり、クランクケースに部品番号30が収まる。クラッチケーブルが33レバーを引っ張ると30が回転しプッシュロッド(番号なし)を押してクラッチが切れる。
  下右は1979年型TZのクラッチ作動機構(パーツリスト)で、クラッチケーブルが32ジョイントを介して26プッシュスクリューを引っ張ると、プッシュスクリューが(ライダーから見て)左側にずれプッシュロッド(番号なし)を押しクラッチが切れる。
 したがって、両機種ではクラッチ作動機構が装着される部分のクランクケース形状が全く異なる。

TZ750                 TZ350/TZ250

 以上のようにTZと0Wではクランクケースが全く異なる。

 そして1973年型0W17を除き、0Wのシリンダーヘッドは1973-75年型TZ(下左は1974年型TZ350)に酷似しているが、シリンダーは(似てはいるが)別物と分る。
 また1973年型0W17のシリンダー、シリンダーヘッド(下中)はTZとは明らかに異なる。特にシリンダーヘッドは左右端に段があり、1973年型0W20(500t4気筒、下右はシーズン前公開写真)に酷似している。

(2)車体
 下左(1974年型TZ350、1973年型と同型)ではフレームのダウンチューブがそのままシートレールのクッションユニット取付部付近まで伸びているのに対し、下中(1973年型0W16)ではダウンチューブがクランクケース後下で60度曲げられてエンジン後上部に伸びシートレールに繋がる。TZと1973年型0W16は全く異なるフレームである。
 


 下左(再掲)は高井の1975年型0W17(フレームは1974年型0W16)で、1973年型0W16(上右)と同様、ダウンチューブがクランクケース後下で60度曲がるが、スイングアームピボット付近とクッションユニット取付部を結ぶパイプ(リアアッパーパイプ)の下部形状が1973年型0W16と全く異なる。

 下中、左上は1974年型TZ350で、スイングアームは鋼板プレス部材を鋼板に溶接したような構造だが、下左、下右(1973年型0W16)のスイングアームは箱型構造。

 フレーム、スイングアーム以外に、0Wの前フォーク、後クッションユニット、前後ブレーキ等もTZとは全く異なる。
 そして、1975年型0Wは1975年型TZと全く異なるモノクロスサスペンションであり、1976年型TZ(モノクロスサスペンション)と比べてもフレーム、スイングアーム等が異なることが分る。

(3)まとめ
 0WはTZと全く別のマシンであり、エンジンの次の点が共通なだけである。

●基本形式:2ストローク水冷並列2気筒
●ボア×ストローク:64×54mm(0W16)、54×54mm(0W17)
●ボアピッチ:102mm
●吸気制御:ピストンバルブ
●動力伝達経路:クランクシャフト右端ギア→クラッチギア→クラッチ→変速機メインシャフト→変速機カウンターシャフト

 もちろん、同じヤマハ製なのだから0Wの設計にあたってはTZの先行開発車というべき1972年のYZ634/YZ635の設計が参考になっただろうが、「新型市販レーサーTZ250をベースとするYZR250(0W17)」(ヤマハGP参戦50周年記念サイトコラムvol.11 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)) だと

〇TZ250のシリンダー/シリンダーヘッド、その他部品をファクトリー仕様のものに交換したマシン

という印象を受ける。  

 私は「0WはTZの設計を参考としつつ新設計されたマシン」としている。一言で表現するなら「TZの進化形」だろうか。 1975年 YZR350(0W16) - コミュニケーションプラザ | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) では、0W16を「市販レーサーTR-3を水冷化したYZ634から進化し、1973年ダッチTTで0W16としてデビュー」としているように。

 さて、「0W16はTZベース」という記事がネット、雑誌に多いせいだろうか、ヤマハGP500勝記念サイト Movistar Yamaha MotoGP |Bikes では0W17は影も形もない。。
 0W16は1974年のみ6勝を挙げたとされており、おまけに0W16の写真は1979年型TZ350(Movistar Yamaha MotoGP |Bikes  )になっている。

 また、ヤマハGP参戦50年記念サイトの記事  年代別一覧(1970〜1979年) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) では、1974 年の頁 1974年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)   で「500ccクラスに加え350ccクラスにもエントリーしたG・アゴスチーニはYZR350(0W16)を駆り、全10大会中で5勝を飾りチャンピオンを獲得した」とあるだけで、1973、1975年の頁に0W16、0W17については何の記述もない。  

  なお、1975年 YZR350(0W16) - コミュニケーションプラザ | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) では「1973年ダッチTTで0W16としてデビュー〜1974年ジャコモ・アゴスチーニ、1975年ジョニー・チェコットのチャンピオン獲得に貢献した」 とあるが、「1975年ジョニー・チェコット」は誤り。セコットは250tクラスでは0W17に乗ったが、350ccクラスでは0W16ではなくTZ350に乗った。
  
 このようにヤマハのウェブサイトで語られる歴史ですら0W16/0W17の影が薄いのが残念でならない。

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