ヤマハ 0W31/0W46(YZR750) YAMAHA
ヤマハ市販レーサーTZ750(750cc2ストローク並列4気筒、ボア×ストローク:66.4×54o)のファクトリー版、ヤマハ0W31(YZR750)が1976年デイトナ200マイルレースに登場した。そしてそのレースがF750(フォーミュラ750)レースの終わりを告げるレースとなった。ヤマハが圧倒的な強さを見せるようになったのだ。スズキも市販車ベースのXR11(TR750)に替わるマシンとしてXR20(RF750)を開発していたが、4ストローク市販車の開発のために計画を停止していた。カワサキが前年に登場させたKR750も0W31の競争力を上回ることはなかった。F750に出場するためには25台以上を生産する必要があったことも、迅速な開発の足枷になったのかもしれない。
1977年にF750は世界選手権としての地位を与えられたが、F750の地位は落ちるばかりだった。そして1979年シーズンには25台以上生産の足枷は消えたが、この年がF750世界選手権の最後の年となり、ヤマハ750ccファクトリーマシンの開発も1979年型が最後となった
。しかも1979年型として新たに製作されたものではなく、1978年型0W31の一部の部品を変更し1979年仕様としたものだった(これらの部品製作の社内計画記号は0W46であり、その意味で1979年型を0W46と呼ぶのも間違いではないだろう)。
ただ、0W31の役目が1979年に終わったわけではない。AMA(アメリカ・モーターサイクル協会)のレースは依然として750ccマシンの出場を認めていたし、ヨーロッパでも世界選手権以外に750ccクラスのレースがあり、時々0W31が走ったのである。しかし、それも1982年が最後だった。
現存する0W31は以下のとおり。エンジン番号/フレーム番号の機種記号に続く数字は「8」で、1978年型として製作されたことを示している。(1)、(2)は1980年以降にレースで用いられたマシンで、様々なパーツの組み合わせである。
(1) 0W31-E-802/0W31-B-802 1982年デイトナ200マイルレースでグレーム・クロスビーの手により優勝したマシンそのもののようだ。排気管サイレンサーはCFRP(カーボンファイバー強化プラスティック)製で1979年型の特徴、前フォークは1981年の500ccファクトリーマシン0W54または0W53のものと思われる。 |
(2) 0W31-E-807/0W31-B-807 | ||||
排気管サイレンサーはアルミ合金製(1978年型以前の特徴)で、1980年型500cc4気筒0W48に使用されたアンチダイブ機構付前フォークを装着しており、1981年にケニー・ロバーツがデイトナで使用したマシンと思われる。 |
(3) 0W31-E-804/0W31-B-804 排気管サイレンサーはアルミ合金製。本マシンはレストア後の状態であり、この状態が本マシンの最終形態かどうかは分らない。 |