スズキTR750の記事
スズキ750t3気筒・XR20(機種記号)は1975年頃に試作されたが、プロトタイプのままで終わり、実戦には登場しなかった。このXR20の一般名(になるはずだった名前)は、TEAM SUZUKI(by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008)ではRF750、スズキ社内の展示室ではTR750Rとなっていた。このRF750/TR750Rは、1972年以降にレースを走ったTR750(XR11)とは全くの別物である(詳しくはこちら)。
しかし、別冊モーターサイクリスト2013-7・38-39頁のTR750の記事ではTR750(XR11)とRF750/TR750R(XR20)を全く区別できていない。ライター氏は1975年にレースを走ったスズキ750がどんな形をしていたのか知らず、XR20が実戦を走ったと考えているのだろう。 読んでいて悲しくなるというか、あきれるというか・・・
38-39頁
カラー写真(走行写真を除く)はXR20で、他の2枚の写真がXR11。
39頁
説明1
「全面改修された75年型〜この年から3本のチャンバーはすべて車体下を通るレイアウトになった」
このマシンはXR11ではなくXR20。また、1975年型XR11は1974年型以前と同様、1番気筒(左端気筒)の排気管がシート下を通るレイアウト。
説明2
「クランクケースは、初期はレギュレーションに従ってスタンダードを使用('72年のアトランタでは、クランクケースが規則違反とのクレームを受け〜」
TEAM SUZUKIによると、「シリンダーが規則違反」、「マーブ・ライト(メカニック)の回想では改造不可箇所についてのFIMとAMAのレギュレーションの差(cylinder barrel casting material と barrel casting and materialの差)によるもの」ということである。
説明2
「(XR20の写真)75年型は〜最低ホモロゲーション台数が大幅に減らされたため、徹底した軽量化が施されている」
説明10
「(XR11の写真)エンジン外観にまだGT750の面影か感じられる73年型TR750」
ライター氏は1975年に走ったスズキ750tレーサーの写真を見たことがないようで、この写真のマシンが1975年型スズキ750と勘違いしている。ライター氏の想像力豊かな文には感心する。
1975年型XR11の写真はこちらhttp://www.classic-motorrad.de/huebben/suzuki75/Suzuki-75-1.htm
説明5
「「XR」の文字は〜」
折角、シリンダーヘッドのアップ写真を掲載し、写真に11111XR2000という部品番号が写っており、このマシンがXR20であることを示しているのだか・・・1975年にレースを走ったスズキ750がXR20だと思っているのだろう。その他の写真説明も、XR20が1975年のレースを走ったことが前提になっているので、滑稽なものになっている。
補足
TR750についての記述ではないが・・・
119頁
「1974年にヤマハから2サイクル2気筒の市販レーサー、TA125がリリース〜ホンダ系チームはモトクロッサーのCR125Mをベースとする2サイクル単気筒改でこれに対抗しようとするが、戦闘力の差は明らかだった」
TA125の市販は1973年。また、1974、75年の全日本125tの戦績(セニア・エキスパートジュニア(+ジュニア)2(3)クラス混走の総合順位)は次のとおりで「戦闘力の差は明らかだった」はライター氏の思い込み。詳しくはこちら。
1974 | 1975 | ||||
1 | 鈴鹿 | 毛利S・ヤマハ | 1 | 筑波 | 石井E・ヤマハ |
2 | 鈴鹿 | 上田S・ホンダ | 2 | 筑波 | 石井E・ヤマハ |
3 | 筑波 | 江崎S・ヤマハ | 3 | 鈴鹿 | 角谷S・ホンダ |
4 | 鈴鹿 | 上田S・ホンダ | 4 | 筑波 | 相沢E・ホンダ |
5 | 筑波 | 石井J・ヤマハ | 5 | 鈴鹿 | 上田S・ホンダ |
6 | 鈴鹿 | 毛利S・ヤマハ | 6 | 菅生 | 相沢E・ホンダ |
7 | 鈴鹿 | 上田S・ホンダ | |||
8 | 筑波 | 相沢E・ホンダ | |||
9 | 鈴鹿 | 上田S・ホンダ |
Sはセニア、Eはエキスパート・ジュニア、Jはジュニア。 |