ヤマハ0WH1    YAMAHA
(YZR250
ローターリーディスクバルブ)

 ヤマハの1991年以降の250cc市販レーサー、ファクトリーマシンはいずれもクランクケースリードバルブ、1軸クランクで、2気筒とも前方排気だった。そして、1993年には250ccファクトリーマシン0WF3に乗る原田哲也が250cc世界選手権を手にした。

 しかし、直線での速さはアプリリア、ホンダに劣っており、1994年にはタイトルをロータリーディスクバルブエンジンのアプリリア(ライダーはマッシミリアーノ・ビアッジ)に明け渡す要因の一つとなった。そこで1995年シーズンに向け、ヤマハもロータリーディスクバルブエンジンの可能性を試すこととなった。

 左は、1995シーズン前、菅生でテストされたマシンで、本来、フェアリング右側にある右気筒用吸気口がない。したがって、吸気ダクト、吸気ボックスはエンジン左側に集中していることを示しており、ロータリーディスクバルブである可能性が高いことが分る。
    菅生        カタロニア
 
 右上は、第5戦ドイツGPの後、カタロニアで原田の手によりテストされているマシンで、1気筒が後方排気になっている。なお、1991〜95年の250ccファクトリーマシンはYZR250ではなくTZ250Mと称していたが、右上のマシンには「YZR」の文字がフェアリングにある。右はそのエンジンで、2軸クランク・ロータリーディスクバルブであることが分る。

 しかし、このマシンは結局レースで走ることはなく、原田は従来型のマシンに乗り続け、チャンピオンのビアッジに大差を付けられたランキング2位となった。

 

                                                                                                        MENU